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ライフログ
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2017年 10月 22日
2007年10月22日。 東京某所に、X JAPANが出現した。 新曲「I.V.」のMV撮影という形で、存命の4人が姿を現したのである。 HIDEという大きな存在を失いながらも、 かつてデビュー前にはヘルプメンバーだったPATA、 「X」から「X JAPAN」への改名に際し加入したHEATH、 そして一度は離れたものの舞い戻ってきたTOSHI(当時)と共に、 YOSHIKIはX JAPANを「綺麗に終わらせる」為に再結成したのだ。 正直言って、あの時は胸が躍ったものだった。 「綺麗に終わらせる」からには期限付きの活動なのかも知れないが、 一体どのような動きを見せてくれるのか。 何より新曲「I.V.」が自分の耳にきちんとした形で届くのが楽しみだった。 ……あれから、もう10年が経った。 X JAPANは「綺麗な終わり」を迎えることなく、未だに存在している。 この10年、随分な時間をかけ世界進出の歩を進めてきている。 出だしは好調とは言い切れなかったが、いくつもの海外公演を実現させ、 マディソン・スクエア・ガーデンやウェンブリー・アリーナでの公演という 日本人としては栄えある業績を残すことが出来た。 決してコンスタントにではないが、新曲も数曲を発表した。 完成に(当然の如く)時間がかかったが、ドキュメンタリー映画を世界中で公開した。 しかしだ。 「再結成X JAPAN」が本格的に活動出来たのは、最初の4年間、 つまり、世界ツアーを本格的に行った2011年までだったのではないか。 最近になってそう思うようになってしまった。 現在の、特にこの2017年のX JAPANの状況を見ていると、 「最早騙し騙し活動している」ようにしか見えなくなってしまったのだ。 当ブログには、「リリース予定」と言われ続けて数年経っている X JAPANのニューアルバムについて触れた記事を3つエントリーしていました。 しかし、ある時期より、あることをきっかけに、 その3記事を非表示にさせていただいていました。 当ブログのメインであるはずのTM NETWORKに関する記事を差し置いて ブッちぎりのアクセス数を誇っていたにもかかわらずです。 非表示にしたその理由は……まぁ上記の通り、失望したからです。 何故失望したのかは…… お分かりでしょう、ここ数ヶ月のX及びYOSHIKIの動向を見れば。 賢いファンの方からすれば「失望するのが遅すぎる」って感じかも知れませんね。 1996年3月に名古屋でYOSHIKIがブッ倒れた時も、 当時のファンは同じような失望感を抱いたのでしょうか。 今回のエントリーは、解散から20年が過ぎ、 再結成してからも遂に10年が経った現在のX JAPAN、 ここ9ヶ月程の動向をまとめておこうと、ふと思ったものです。 <続きはこちらから> #
by inako0131
| 2017-10-22 23:18
2017年 01月 24日
5ヶ月もの間放置しておりましたこのブログ。 妙にアクセスが増えたような気がしないでもない、 それもよく見ると、本来のコンテンツであるTM NETWORK関連を差し置き 前2回のX JAPAN関連のエントリにばかりアクセスが集中しているらしいという今日この頃、ご覧頂きまして有難うございます。 モチベが上がらず放置していた間、 松田聖子へ提供した楽曲も無事シングルとして発売され、 石塚先生も重篤の病から復活を遂げ、 一部で開催が不安視されたらしいあの「VISUAL JAPAN SUMMIT 2016」も ラルクの4人のうちヴィジュアル系呼ばわりを拒絶するtetsuyaを除く3名が 3日間でバラバラに出演するという粋な展開を見せ、無事に終わりました。 そしてあのドキュメンタリー映画「We Are X」、 各国の映画祭でばかり公開して箔付けに拘ってる感じしかしませんが、 昨年10月にアメリカ限定で一般公開されたらしいですね。 そしてどういうわけか、日本での公開も全く決まっていないのに 3月にDVD/Blu-rayで発売決定とかなんとかいう話が。これは延期になるだろうな 更にYOSHIKI、12月からはクラシックコンサートツアーの第2弾を行い、 そのうち、年の瀬の香港公演がとあるトラブルにより中止、 代替公演を翌日にフリーライブとして強行し、 紅白へのリハも放映当日になって参加という相も変わらずも無茶振り。 そして年も明け、去る1月12・13日、 誉れ高きカーネギーホールでの2DAYSが無事に開催され、 クラシカルコンサート第2弾の千秋楽を飾りました。 尚、紅白本番ではYOSHIKIが聖子さんとコラボ、 その直後何故かゴジラと戦わされるハメになり、 Toshlの「ゴジラをやっつけるぜー!!!!」の咆哮が 大晦日のNHKホールに響き渡りました。 有村架純が「X JAPANのYOSHIKIさん」と言おうとして めちゃくちゃ噛んでたのには頭を抱えましたが。 こういった動きがあった中、いよいよ、 昨年から51週くらい延期になっていたX JAPANウェンブリーアリーナ公演が 本当に近づいて参りました。 未だ「本当に出来るの?」という空気が流れている気もせんでもないですが。 他にもマリリン・マンソンと曲を作っているだのという話も聞きますが、 なんか他に「レディースエックス」とかいうプロジェクトが あったりしませんでしたっけ…………???? ってかそうこうしてるうちに『DAHLIA』発売から20年過ぎちゃったじゃないか!!!! 結局私の読みは予想通りハズれました。 2016年11月4日金曜日に出てくれたらいーなとか思っていたのですが。 出る訳がありませんでしたハイ。 そういや最近、楽天モバイルのCMにYOSHIKI本人が出演してるじゃないか。 BGMも「X JAPAN向けに作った"長い曲"からブラッシュアップ云々」らしいが、 どー聴いても「Kiss the Sky」の一部を少々いじったとしか思えない。 少し安心したのは、ドラムが生音だったことです。 あぁ、ちゃんと出来てるところは出来てんだなと(後でボツの可能性もあるが)。 ただ気になるのは、「エンドレス・チャレンジ」とか仰ってますが、 アルバム制作でエンドレス・チャレンジしてはいけないと思います。 ……ということで、前回まで、 YOSHIKIが「出します」と言う度にファンが「嘘だ!」と疑う、 そんな状況が何年も続いているX JAPANの新作アルバムについて、 所謂「出す出す詐欺」の足跡を辿っていました。 今回は、以下のことをだらだらと考えています。 「何故、アルバムを出さないのか? 出したいんだけども出すことが出来ないのか? それはオトナノジジョーとかいうやつなのか? それともYOSHIKIのアーティストとしての矜持によるものなのか? つまり"出したくない"ということなのか? 或いは……出すからにはてっぺん取りたいから、なのか?」 「"王様の耳はロバの耳"みたいに、 穴を掘って言えないことを思いっきり言いたい。 そのくらい事情を話せたらどれくらい楽なのかな」 YOSHIKIは、2013年のインタビューでこんなことを言っていました。 ならばB'zの「だれにも言えねぇ」の井戸を是非とも使って叫んでいただきたいところである。 いや、それはともかく。 YOSHIKIは退っ引きならない事情を抱え込んでいるというのでしょう。 アルバムを完成させる&発売するにあたって何が障害になっているのか。 1. 結局は制作の中心であるYOSHIKIのせい 2. エージェントがOKを出していない 3. それ以前に、レーベルと契約が出来ていない だいたいこの3つが考えられるんでしょう。 今回はこの3つについて書いております。 とはいえ殆ど去年書いたものなので、状況は少々ながら変わっているでしょうが。 <理由なんて考えても無駄かも知れませんがこちら> #
by inako0131
| 2017-01-24 23:46
2016年 08月 25日
さて、前回から「X JAPANは本当にアルバムを出せるのか」というテーマで 数回に分けてエントリしていっているのだが、 まず最初に「アルバム発売」に関するこれまでの経緯を振り返りましょう。 ツイッターでも、アルバムに関するYOSHIKIの発言の変遷は チェーンメールの如く出回っているが(まぁそれがツイッターなんだけど) ここでは僕がツイッターで自分なりにまとめてみたのを貼っつけます。 まぁ、これらを呟いたのが2015年7月の「JAPAN EXPO」での発表の後なので、 その後の話も一応追加しておきましょう。 2007年→ X JAPANが再結成するだのしないだのという話。結局10月より再始動、新曲I.V.のビデオ撮影を敢行2008年→ 年初に東京ドーム公演と「2008年X月X日 JAPANESE BEST ALBUM発売」告知。I.V.日本語版とWithout You含む日本語曲ベスト。これに対応してか海外向け英語版ベストも検討。だが結局いずれも出せず。海外公演も延期。I.V.だけ早々に配信2009年→ 東京ドーム公演広告にて「新曲収録によるベストアルバム発売」告知、JAPANESEが取れた。新曲は4曲、うち1曲JADEが新たにドームで披露。しかしその後活動不能、リリース無し。初海外公演は香港でやっと実行。ドーム6公演予定が2公演に縮小。HEATH問題、杉様加入2010年→ トシュル覚醒、日産ライブにTAIJI、北米ツアー、HIDE関係トラブル。アルバムが「新旧曲織り交ぜた全編英語フルアルバム」となるも発売されず、「ほぼ完成」が口癖に。新曲Born to Be Free、Scarlet Love Songが公表。LUNA SEA再始動へ2011年→ 北米EMIと契約。しかし震災の発生により各々復興支援に奔走。TAIJI死去。欧・南米・アジアツアー、日本はフェス出演のみ。Scarlet Love SongとJADEが立て続けに配信。しかしそこで停滞。アルバムという形に疑問を抱き始めるYOSHIKI。完成がまた遠のく2012年→ YOSHIKI、ゴールデングローブ賞テーマ曲のオファーを受ける。アルバムどころかXそのものが停滞、「世界デビューアルバム制作も最終段階」、その「最終段階」から抜け出せず。その間にLUNA SEAが動き出しニューアルバム制作宣言。余談、TMが30周年に向け始動2013年→ YOSHIKI、「YOSHIKI Classical」リリースとソロツアーでクラシックの人になってしまう。その間にLUNA SEAが12月にアルバム「A WILL」を出してしまう。YOSHIKI、フルアルバム形態への疑問募り「ミニアルバム2枚」志向が強まる2014年→ ①初の全世界ベストと称した初でも何でもないベスト「THE WORLD」発売。新曲はWithout Youのみ、しかもライブ音源。新作に先行しての収録か、思い入れが無くなり新作に収録せずライブ版のみCD化のつもりか。当初予定の「新曲入りベスト」は出せたが、これでは……2015年→ ①2月にアルバム用音源収録と思しきサンプルCDの画像が公開。ルナフェス出演で観客の声を録音、新曲Kiss The Skyに使うという。2016年3月11日にアルバム全世界同時発売、その翌日イギリスで映画プレミア+ライブ開催を宣言2016年→ Rockstarなる楽曲の存在が発覚する中、PATAがまさかの緊急入院。3月のアルバムとイベントは延期、当面活動休止。その裏でドキュメンタリー映画が各国の映画祭で絶賛。YOSHIKI、聖子へ楽曲提供。VISUAL JAPAN SUMMIT開催決定。そして……2016年8月現在までの流れを見ると、だいたい以上のような感じ。 そしてこの流れを大まかに3つに分けると 1: 新曲を含むベストアルバム 2: 新旧半々・英語詞によるフルアルバム 3: 全曲新曲のオリジナルアルバム という風に話が変遷していっているようである。 ということで、今回は「アルバム制作に関する経緯」を追うことにする。 尚、下記のYOSHIKIの発言は各音楽情報サイト等で見かけたものである。 <経緯を追っても無駄でしょうけどもこちら> #
by inako0131
| 2016-08-25 23:16
2016年 08月 18日
2015年7月4日、フランス・パリにて毎年開催される「JAPAN EXPO」。 このイベントにYOSHIKIが出演し、X JAPANに関する下記の重大発表を行った。 「X JAPANのニューアルバムを2016年3月11日に全世界同時発売」 「翌3月12日にロンドン・ウェンブリーアリーナにてアルバム発売記念ライブ」 「同日にはX JAPANのドキュメンタリー映画のプレミアも開催」 予てより「出す」と言われ続け、その割には一向に出る気配もないまま、 数年もの間宙に浮いたままの「X JAPAN再結成後初のオリジナルアルバム」に とうとう具体的な発売日が設けられたのが、この時であった。 発売されれば、「『DAHLIA』以来20年振りのオリジナルアルバム」となる。 (厳密には19年と約4ヶ月振り) 「発売日が明言された以上今度こそ本当に出してくれる!!」 という期待で我々は色めき立った。 しかし、一方で冷静な連中は「出るわけない」と断言していた。 8月には、20年振りとなる日本国内ツアーを12月に開催すること、 アルバムの先行シングルを10月23日にリリースすることも告げられた。 その後、予定より2週遅れて、 シングル「BORN TO BE FREE」が11月6日より配信リリースされた。 11月下旬の石巻での震災復興支援ライブを皮切りに、 「ウェンブリーアリーナ前哨戦」と称された20年振りの日本国内ツアーが 約2週間で6都市10公演という非常にタイトなスケジュールで開催され、 その過密振りにも拘らず、見事完遂したのであった。 そのアリーナツアー福岡公演のレポートは<こちら>。 しかしその結果、メンバーのコンディションはガタガタになってしまった。 このツアーと並行し「アルバムのレコーディング」も進めていたというのだから。 どれだけの余裕があろうと、どれだけの時間が設けられていようとも、 レコーディングが泥沼化し曲が未完成のまま時間ばかり流れていくのは YOSHIKI絡みの創作現場では日常茶飯事である(らしい)が、 発売日も決めておいて「本当にこんなんで間に合うのかよ」と思った。 だってレコーディングだけすりゃ良いってものじゃないでしょ、その後のトラックダウンとかマスタリングとかだって壮絶に時間掛けるつもりなんだろ?と。 12月31日、紅白歌合戦へ18年振りに出場し、 その後YOSHIKIはニコニコ生放送の「YOSHIKI CHANNEL」で小室と対談。 そう、2015年は一連の「TM NETWORK 30th 1984〜」を春までに終え、 夏から「globe20th」プロジェクトを推し進めていた小室哲哉である。 すいませんこのブログそもそもTM NETWORKを扱うブログなんですけど その対談の中で、アルバムについてもかなり重要な発言がなされていた。 「スタッフやメンバーからも、今回は出したほうが良いと言われている」 「12曲収録、メインの曲が8曲、イントロやインタールード的なものが4曲」 「本当は13曲だったが、1曲間に合わないので先週省いた」 「タイトルはセルフタイトル、"X JAPAN"でいこうと思う」 小室も「出したほうが良い」「後から直せばいい、ライブバージョンとかで」と YOSHIKIへリリースの後押しをしてくれていたのだが、 本当にもうそれだけ明確な完成形モデルが見えているのなら、 そこに向かっていくしかないだろうと思うが……とにかくこの時点では 「まだ間に合う、待った無しだろうがまだ間に合う」という想いはあった。 そして3月11日には、必ずや新作を届けてくれるであろう、と期待を持っていた。 その期待が見事に打ち崩されたのが1月下旬であった。 YOSHIKIが、ニコ生にてこんなことを言い出したのである。 「アルバムは……もう分かんない。 夢の中にいると思わないとやってられない。 皆夢の中にいると思って下さい。 夢の中にだけ生きて」 ええええいやいやいやそれはいったいどーゆーことですかハヤシさんよ。 セイエニの歌詞引用して上手い事言ったみたいな感じになってんじゃないよ!! 実はこの時期、「PATA緊急入院」の報が流れていた。 1月の半ばに入院、しかも手術が必要な病気を2つも併発していたらしい。 何事にも動じぬ仙人のようなあの石塚先生が……。 結局2月頭には、翌月の一連のイベントの中止(というか延期)を発表。 ウェンブリーアリーナ公演は「2017年3月4日に延期」と決まったが、 肝心のアルバムについては「状況をみて検討する予定」という曖昧なものだった。 (ちなみにドキュメンタリー映画のほうは、既に1月23日にアメリカの「サンダンス映画祭」で先に公開されてしまい、プレミア上映を行う必要も無くなってしまったようである) 賢いファンは「それみたことか」とドヤ顔を決め込んでいたことと思うが、 「PATAの病気とアルバム延期は関係ないだろ」という指摘も多くあった。 つまり「PATAが倒れようが倒れまいがアルバムは延期のつもりだったんだろう」 「アルバムが出来てない言い訳にPATAの病気を利用するな」という見方である。 或いは、「アルバムだけでもすぐに出せ」という声もあったようだ。 しかしだ、仮にアルバムが完成して世に出せる状況になったとしてだ。 PATAが動けない状況でリリースしても仕方がないのではないか。 何しろ20年振り、X JAPANにとって滅多に出ないアルバムである。 これを出すのなら、それに付随するイベントは是非やりたい。 YOSHIKIなりマネージメント側なりは、以前からそう考えていたのだろう。 それが3月12日に行われる(はずだった)ウェンブリーアリーナだった。 尚、このウェンブリーアリーナも1年近く先まで延期となったが、 本当に開催出来るのだろうか? 実はこれが延期になった裏には、PATAの件のみならず、 「チケットが売れていない」という事情もあるようなのだが……。 しかし、あれだけ大々的にブチ上げたのに、勿体ない。 石塚先生の入院という予期せぬ事態が起きたとはいえ、勿体ない。 このタイミングを逃したら、 もう二度と「X JAPANのニューアルバム」は出ないんではないのか? そんな風にすら思い、我々「X JAPANの新曲」を求める層は、 「2016年3月11日ニューアルバム発売」が実現することを切に願っていた。 が、結果は、「やっぱり延期」。 具体的な日付を設けても結局延期。 「ファンも待つ事は慣れてるから、よっちゃんの納得のいくまでやってほしい」 そんなお優しいファンの方も大勢いらっしゃる。 しかしだ。あの御仁はいつになったらご自分の創作物に納得出来るというのか。 本当にYOSHIKIは、アルバムを出す気はあるのだろうか? 多くの人々が「ないよ」と言い放つであろう状況下、 その辺について私も考えてみたい。 っていうかそろそろ聴きたいんですよ。世に出ていないX JAPANの新曲を。 つべにUPされた音質ジャリジャリのライブ音源で満足なわけがないじゃないか。 本来のアルバム発売予定日だった2016年3月11日、 奇しくも過去最大の国難から5年を迎える日だったが、 そこからもう少しで半年を迎えることになる。その間に状況も変わった。 二度にわたる手術も無事成功したPATAの容態は回復しつつあり、 昨年からやりたいやりたい言っていたX JAPAN主導のフェスも 「VISUAL JAPAN SUMMIT」と題して10月半ばに幕張で開催予定。 ドキュメンタリー映画も10月下旬にアメリカの一部都市で一般公開予定。 この映画に付随するエンディング曲も新たに制作し「間に合った!」とのこと。 そして……アルバム制作の、いや発売に向けての進捗状況は……? 「何十パーセント完成」なのは分かった。 「佳境」なのも「最終段階」なのも分かった。 「レコーディングもほぼ終わっている」と言いながら性懲りも無くエディットや追加レコーディングを行って理想型に近付けたいという気持ちもよーく分かる。 どうなんですか。完パケまでキチンと出来るんですか。 そして2016年内に出せるんですか。 本当に「20年振りのオリジナルアルバム」として出すのならば、 前作『DAHLIA』の発売から丁度20年、奇しくもPATAの誕生日でもある、 2016年11月4日が期日である。 (「20年振り」という点にこだわっているかどうかは知らんが) この日は金曜日だが、全世界同時発売となると金曜日に出すのが慣例らしい。 2016年3月11日も金曜日だった(その5年前も金曜日だったのだ……)。 『DAHLIA』20周年の日がちょうど金曜日とは。 この日にこそ出せと言われてるようなもんでしょう。もう出すべきでしょう。 そして「どうせ出るわけない」と決め込んでいる連中の鼻を明かしてやってはいかがか。 彼らだって本当は出て欲しいと思ってんだから出りゃ飛びつく。 ということで、ここから数回にわたって、 X JAPANのニューアルバムの行方を追うことにしたいと思います。 X JAPANについて深く、鋭く分析しているブログならいくらでもあるが、 僕もやりたい。アルバムを心待ちにしている身としては。 そしてこれを書いている間に、状況がまたベストな方向に変わってくれれば……。 ・・・ #
by inako0131
| 2016-08-18 23:52
2016年 04月 15日
1988年、夏。 「セブン!デイズウォー!たたかーうよぉ!」 映画「ぼくらの七日間戦争」のCMで流れたこんな歌声。 最初に耳にした時は「変な歌〜」としか思っていませんでした。 当時の興味は「ビックリマン」「聖闘士星矢」「トランスフォーマー」。 そして「ザ・ベストテン」等の歌番組でお目当てだったのは、 光GENJIでしたから。 ちなみに遡ってみると、その昔お気に入りだったのは、 光GENJIに楽曲提供をする前のチャゲ(CHAGE)が 石川優子と共に歌った「ふたりの愛ランド」でした。 どういう訳か、当時は飛鳥(ASKA)の存在を知りませんでした。 むしろ当時は石川優子のほうが目当てでした。 幼稚園児のくせに。 当時のバンドではアルフィー、安全地帯等がチャートの常連でした。 かと思ったら、井上陽水の「いっそ セレナーデ」がヒットしたりして。 彼が当時出したアルバム『9.5カラット』はしょっちゅう聴いていました。 幼稚園児のくせに。 そんな餓鬼が小4になって耳にした「SEVEN DAYS WAR」は、 どっかその辺のお兄さんの歌でしかありませんでした。 彼らが歌番組に出演しても、印象には残っていませんでした。 グループ名が「TMネットワーク」。 TUBE、オメガトライブの活躍する季節だったせいもあり、 「この人たちも夏のバンドかな」等と思っていました。 「シティーハンター」や「ガンダム」は見ていませんでした。 大人びていて、自分には難しい世界のような気がしたから。 幼稚園時代の音楽の趣味とまるで逆だな。 昭和が平成に変わろうとしている頃。転機は訪れました。 母親が見せてくれた「PATi・PATi」。 米米、プリプリ、ユニコーン、ジュンスカ、バービー、そしてBUCK-TICK…… 数多のバンドを押しのけ表紙を飾っていたTM NETWORK。 年が明けてからだったか、 『CAROL』と題されたCDを母が聴かせてくれました。 そう、全ては、ここから、始まったのです。 でも本当は、これよりも前に、小学校に入ったぐらいの頃には、 僕はTMの曲に知らず知らずの間に触れていたのでした。 福岡の人間ならば、テレビ西日本のテーマ曲として耳にしたであろう、 「FANTASTIC VISION」です。 それがTMの曲だと知ったのは、数年経ってからでしたが……。 ある意味、TMに辿り着いたのは、必然だったのかも知れません。 僕がTMに魅了されて間もなく、ウツの怪我があり、 シングル3枚同発、小室さんソロ活動、ウツドラマ出演、木根さん執筆業、 松本さんのB'zのブレイク、TMNリニューアル、小室さんとYOSHIKIとのV2、 タイアップブームとミリオンセラーの時代、それに乗れなかったTMN、 accessやTRFの登場、TMN終了、小室バブル、ウツ木根の細々とした活動、 「ガボール・スクリーン」「YOU ARE THE ONE」での3人の共演、 ヴィジュアル系の台頭と、その中にあってのX JAPAN解散、 B'zのベスト盤の記録的なセールスと、徐々に始まっていたCD不況、 小室バブル終息、噂が立っては立ち消えになるTMN再始動、 あれから5年にして実現したTM NETWORKとしての再始動、 低調な活動振り、傾いていく音楽業界、小室事件をはじめ不幸な出来事、 東日本大震災、小室さんやウツの病気、そして迎えた30周年……。 色んなことがありました。 その間に、僕は色々なミュージシャンとも出会いました。 TMと縁のある人もいればそうでない人も。 日本のミュージシャンのみならず、海外のミュージシャンも。 しかし、それらの出会いの全て、原点はTMだったと思っています。 TMに出会えたから、数々の音楽に出会えたのだ、と。 ・・・ TMのデビュー30周年記念をきっかけとして、 休眠していたブログを再利用する形で始めたこの「12003日グルーヴ。」、 本日でTM暦12003日目を迎えます(1994年5月19日を4001日目とする)。 ということで、このブログは一旦ここで区切りを付けておこうかな、と。 ご存知の通り、昨晩4月14日夜、熊本で大きな地震が発生しました。 被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。 実はこちら福岡でも、昨年12月から毎月有感地震が起きています。 全く関係のない話ではあるのですが、 「こんなことしてる場合じゃないんじゃないか」という想いが、 自分の中にあるのです。 昨年の同じ頃に、TMとは別のやりたい企画があると書きましたが、 これもやれるかどうか……。 ただ、TMがこの先活動を行うならば、また何か書きたいとは思うのです。 これからこの国が、この世界がどうなってしまうのか分かりません。 そして自分自身も。 でも、それでもこの言葉だけは信じていたい。 「人間はどんな困難も乗り越えられる素晴らしい力を持っている」 上手くまとまりませんが、12003日目を迎えたということで、 ひとまずご挨拶をさせていただく次第です。 当ブログへお越しいただいている皆様へ、 僕をTMに引き合わせてくれた母へ、 僕の音楽好きを見守ってくれている妻へ、 そしてTM NETWORK並びに関係者の皆様へ、 本当に、有難うございます。 一寸先は闇、これから何が起こるか分からない世の中です。 「頑張る」という言葉が良いのかどうか分かりませんが…… 頑張りましょう。 2016.4.15 「12003日グルーヴ。」管理人 らむ ・・・ #
by inako0131
| 2016-04-15 21:44
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